広島平和記念公園に訪れました。
なんと言っていいのか、、、
想像していたものと全く違う空気で驚きました。
平和を祈り立てられた西洋的な記念碑たち。
綺麗に保存された無機質な原爆ドーム。
静かな時を刻む公園。
沈黙。
何か大きなもので覆い隠され、平和のような空気、、、
どう感じ取ったらいいのかと惑うばかりでした。
でも確実に大地からは悲しみや苦しみの声を感じ、とっても重くのしかかりとても辛かった。
広島平和記念資料館も全く同じ印象を受けました。
美術舘や博物館のような整然とした展示。
原爆の恐ろしさ、悲惨さ、悲しみや苦しみよりも先に、資料の文章の多さに圧倒されました。
そして原爆投下がまるでしょうがなかったような雰囲気を感じるような内容まで感じられ驚かされるばかりです。
東館と本館があるのですが、
「前に来たときには、本館しか無かったとおもうのだけれど。」
とトシオさん。
資料を読むのに疲れてしまって、被害に合われた方々のメッセージが込められた本館に付いた頃にはもうくたくたになってしまいます。
本館では原爆に合われた方々の遺品や写真などがきれいに小さくこじんまりと飾られ、
ガラスケースの中で必死に訴えている声が聞こえるようで悲しみでいっぱいになりました。
各国の訪問者のコメントがありました。
この苦しみは繰り返してはいけないと綴られていながら核を保有し続ける国々。
そして原発からきっぱりとさよならしない日本も同じこと。
広島や長崎の犠牲を無視しているかのようです。
原発問題の影響もあってか、たくさんの外国人の姿が見られました。
どう感じているのだろう。
伝わっているでしょうか。
なんだかやきもきしてしまいました。
もっと叫んでいいのではないか。
もっと訴えていいのではないか。
市民の本当の声は出口近くのモニターから流され、
資料見物に疲れた人々は目を留めることはありません。
弱い立場の国。
虚しさでまた悲しくなります。
でもこれが自分も含め日本の日本人の現状なんですね。
自分の無力さに心が痛いです。
もういろんな感情がごちゃごちゃになり、疲れ果て自分か無機質になってゆくのを感じ、涙が出てきました。
暑い夏。ただでさえ、照りつける太陽に体がぐったりなのに、この中で原爆に焼かれていった広島や長崎の人々の痛みは計り知れない、、、
本当に胸が締め付けられる思いです。
そして、苦しみ悲しみを背負いながら生き抜き、 大変な圧力を受けながらも、原爆の恐ろしさ、平和を訴え続ける方々。
その思いは確実に世の中を平和へと導いてくれています。
彼らの思いそしてここに手を合わせてゆく世界中の方々の祈りが世界中に広まり、争いのない、思いやりのある本当の平和な世の中をこれから築いてゆけるよう、私もこころからお祈りしました。