宮崎の観光地で有名な「フェニックス・シーガイア・リゾート」。
私が九州にいた頃にはなかった施設でしたのでなんだろうと一目見てみたくて、見に行ったのですが、メインであったはずの世界最大の室内ウォーターパーク、オーシャンドームは閉鎖され、行けるのはホテルぐらいなのかなあ。よくわかりません。プロ野球やプロサッカーチームがキャンプを行って賑わっているようでしたが、車もどこにとめて良いのだか、何がどこにあるのか、本当に何がなんだか分からないので、前をグルーっとして通り過ぎてしまいました。
宮崎の海岸道路沿いは、子供の頃から夢のような南国でとっても素敵なイメージがあったのですが、どこのリゾート地も寂れ(冬だったせいもあるかもしれないのですが)、悲しくてしょんぼりでした。そういえばグアムに行った時もそんな気持ちになりました。先のことも考えず、開発をし続けた日本の巨大な箱の残骸たちが寂しく残され本当にかわいそうでした。楽しいときには素晴らしく感じていたけれど、長くは続かない現実に、楽しんだ自分も含めてしょんぼりしてしまいます。日本中こんなところがいっぱい。。。でもこの残骸もまた自然の流れなのだと受け入れるしかないですし、今こうして自然という美しい日本の財産にもう一度立ち返る日本人が増えているのはそんな時代があったからこそ。少しずつでも自然に帰してゆけるといいなあと思います。
でも少ししょんぼりしながら、車を走らせるとシーガイアの前の通りに神社がありました。
ちょっとお祈りしたくて、立ち寄ってみました。
江田神社と言われる神社でした。
御祭神は伊邪那岐尊、伊邪那美尊
黄泉から帰還した伊邪那岐尊が禊を行った「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」の地であると伝えられているそうです。
ご神木のクスノキ3つが一体になっています。何か意味があるのでしょうか。
かつては神階が最高位の正一位まで進むなど社勢を誇っていましたが、地震の大津波により社殿を失ってからは衰退し、いまでは一村落の産土神の扱いとなって、地元の人々からは「産母(やぼ)様」と呼ばれているそうです。
そういえば江田神社って、、、以前雑誌で江原さんが紹介していた神社。いってみたいなあと思っていたので偶然出会えてなんだかうれしくなりました。
本殿の右奥に小さな鳥居があり、小道を行くと
みそぎ御殿がありました。
伊東ヨ子(よね)さんという熱心な伊勢神宮の信仰者が、伊勢の神の御告げを受け、「阿波岐原に御殿を建立して伊勢の神を迎え祀れ」というものであったそうです。伊東さんは伊勢神宮に参詣して神事を行い、伊勢の神霊を阿波岐原に奉祀し、それがこの「みそぎ御殿」であるそうです。
江田神社の杜の縁には沿うように水路がつくられ、ホタルの里とされていました。大きな施設のそばで、今はあまりきれいな水路ではないのですが、本当にホタルの里となるようがんばっているそうです。
みそぎ御殿を過ぎると市民の森にでます。
さらに左手に進むと神話伝説の地御池(みそぎ池)がありました。
御池
伊邪那岐尊と伊邪那美尊は、最初の夫婦神として国生み、神生みをしましたが、伊邪那美尊は最後に火の神・カグツチを産むときにやけどを負って亡くなりました。伊邪那岐尊は深く悲しみ、黄泉(よみ)の国まで伊邪那美尊に会いに行きました。
そこで恐ろしい姿に変わった伊邪那美尊を見た後、黄泉国の雷神や醜女たちに追われ、辛うじて逃げ帰りました。
伊邪那岐尊は「ひどく汚いところに行った」と言い、黄泉国の汚れをすすごうと「筑紫の日向の橘の小門(おど)の阿波岐原」に至り、禊ぎ祓えをすると、神々がたくさん生まれました。
その池がこの御池だそうです。
冷たい風が通り抜け、白い紙垂がぴらぴら。日が暮れてきて、池はとても寂しく感じました。
また恐ろしい姿に変わった伊邪那美尊が追いかけてくることを想像したららぞ〜っとしてトシオさんを見るとそわそわ。また何かを感じてしまったのかしら?みそぎしなくて大丈夫かなあ。
パンパン。
何事もありませんように。
6月の頃には睡蓮の花が咲くそうです。
ここもその頃にまた訪れたいです。
この日は素敵な夕焼けでした。
このあとまた寒波がやってくるそうで、
連日の寒さで、車のテントが結露にやられ、カビが生えかけていましたので、ひとまず小旅は終了。
寒さ対策の良くないところをいろいろ発見できたこともこの旅の収穫でもあります。
いろいろ素通りしてしまいまして、まだまだ行ってみたいところがたくさん。また整えて出直します。