平戸島からチェレステカラーのかわいらしい生月大橋を渡り、生月島へやって来ました。
もう日が暮れかかっていましたが、なんとか先端に行こうと車を走らせます。
大バエ断崖までくるともう日は落ちていましたが、
黄色く灯された灯台に登ってみました。
強風で飛ばされそう。
手すりにしがみつきますがあまりの寒さと風の強さに、景色を見るどころではありません。
有名なサンセットも終わってしまったし、心残りだったので、明日の朝日を期待して、
この灯台の近くの駐車場でお休みすることにしました。
満天の星空を眺めながらお休みしようと思ったのですが、さすがに寒く、
車の上のテントでは眠れないので、しぶしぶ車の中でお休みです。
テントに物を移すと車の中が広くなるので、以外と車の中も足を伸ばして眠れます。
すっかり我が家となったチェレ号。
この春から一緒に走ってくれて本当にご苦労様。
そして私たちを守ってくれて本当にありがとう。
朝起きると空から光が。
朝日が雲間から光を放っています。
そして見る見るうちに光は変化をし
お日様が顔を出しました。
鳩が飛んでいるようです。
うつくし〜。
今年一番の美しいチェレステの光に出会いました。
あんまり気持ちがよかったので、少し散歩をしました。
丘をずんずん登ってゆくと
草原に出ました。
ずんずん歩いてゆけば、
塩俵の断崖に出ます。
波によって切断された柱が、六角形の面を段違いに並べたようになり、この形状が、昔、塩を運んだ俵に似ていたので名前の由来になったそうです。
大バエ断崖から3、3キロもあるのでさすがにここは車で行きましたが、、、
温かい時期にまた遊歩道を歩いてみたいなあ。
この島は16世紀に領主の籠手田氏がキリスト教に入信したため、島民のほとんどがキリシタンになったそうです。その後禁教令が敷かれると、厳しい弾圧、処刑が行われ、一転して 殉教の島となりました。それでも信者達は信仰を守り潜伏キリシタンや隠れキリシタンとなり、 各種の行事や口伝オラショ、納戸神など当時の信仰を今に伝えているそうです。
ガスパル様
この黒瀬の辻の十字架のあるこの地は生月のキリシタンにとって信仰の原点であり、
最高の聖地なのだそうです。
1558年、生月で最初にキリスト教の布教したガスパル・ヴィレラ神父は、この地に大きな十字架を建て、信者達の墓としました。
1563年にはコスメ・デ・トルレス神父により新しい十字架が建立され、その十字架は
「これまで日本で建てたものの中で最も美麗な十字架」だと 書かれていたそうです。
その後キリスト教の迫害がはじまります。
島を治めていた領主が迫害で長崎に移り住んだため、福者カスパル西玄可という方が島に残された信徒を指導しますがとらえられ、ここ黒瀬の辻で殉教しました。
また、平戸と生月島の間に浮かぶこの中江ノ島では、多くの人が殉教しました。
心の中に黒瀬の辻の十字架を思い浮かべ殉教したと言われています。
現在でも洗礼用の聖水をとる大切な島だそうです。
1992年に生月の多くの殉教者達の遺徳が子々孫々まで称えられんことを祈念して中江ノ島の見えるこの場所に「ガズパル様」として再び十字架が建てられたそうです。
山田教会
1912年、九州の教会建設の第一人者である鉄川与助氏の設計によりに建てられました。
明治11年に平戸島に来て宣教を始めたペルー神父が山田の人達に働きかけ、それに応じた人が長崎へ出かけ、カトリックの勉強を始めたのが山田キリシタンの祖と言われているそうです。
聖堂内はここも残念ながら撮影禁止。
写真、山田教会案内ページより。
小さいながらもとっても豪華な教会です。
祭壇のキリストさまの横には殉教者の悲しい歴史を物語る金色のレリーフがありました。
コウモリ天井の両脇には独特の光を放つ色とりどりの蝶の羽で作られた装飾画は、キリスト教のシンボルを表していました。約3万羽の蝶の羽根が使われているそうです。
小さな島にこんなに素敵な教会があるなんてびっくりしました。
蝶に込められた虹色の祈りがキラキラ空へ舞ってゆきますように。
殉教の島、生月島。
生月の隠れキリシタンたちは250年以上の潜伏状況の中で独特の信仰スタイルとなり、本来のキリスト教の教義との関係は薄れて、 この島独特の「納戸神様」の信仰となっていったそうです。
長崎の大浦天主堂浦上の信徒が黒島の信徒が何とか生月の人達を復帰させようと島に来て働きかけますが、カトリックに改宗した人達は わずかであったそうです。
現在でも300戸余りがいわゆる隠れキリシタンとして信仰を維持していると言われ、カトリック信徒の数は全島民の3%程度なのだそうです。
祈りあふれる美しい島、
たくさんの悲しみに光が差し込みます。