知らない町で、少しホームシックになったときには、いつも不思議なことが起こります。車を走らせていると山の瀬と呼ばれる小島集落の一端にシドッティ神父上陸記念碑の看板を見かけました。


ひまわりの咲く小道を入ってゆくと、


小さなサンタ・マリア教会(屋久島教会)がありました。
残念ながら空いていませんでしたが、青空の下静かなお祈りをすることができました。


シドッティ神父の碑がお日様に照らされキラキラ。

イタリアのシチリアの出身の司祭さまだったシドッティ神父。キリシタン禁教令後、次々と日本に送られた宣教師たちが殉教していた時代、日本への渡航を決意、潜入を目指しました。途中4年ほどマニラで滞在しそこで日本行きを反対されますが、思いは変わらず、鎖国下の日本へ出発、侍の姿に変装してここ屋久島に上陸しました。しかし島の百姓に見つかり、言葉が通じないことで怪しまれ、ほどなく役人に捕らえられて長崎へと送られました。翌年、江戸に護送され、時の幕政の実力者で儒学者であった新井白石から直接、尋問を受けました。しかしシドッティの人格と学識に感銘を受けた白石は、敬意を持って接し、二人は多くの学問的対話を行い、白石はその証言に基づいて『西洋紀聞』を著しました。


白石はシドッティ神父をマニラに追放するように幕府に進言しましたが聞き入れられず、シドッティ神父を茗荷谷(現:文京区小日向)にあった切支丹屋敷へ幽閉することに決定しました。
茗荷谷の切支丹屋敷では宣教をしてはならないという条件で、拷問を受けることはなかったのですが、監視役で世話係であった老夫婦が木の十字架をつけていることを発見され、シドッティ神父に感化され洗礼を受けたと告白しました。そのため屋敷内の地下牢に移され、10ヶ月後、衰弱死しました。

不思議な事に旅をはじめる前、東京で住んでいたところは、シドッティ神父の幽閉されていた切支丹屋敷の近くでした。何度かその辺りをお散歩しましたが、今は住宅地の片隅にひっそりと碑が残されているだけでその面影は残されていません。


カルロ・ドルチの「親指の聖母像」
シドッティ神父の所持品で図像は現在重要文化財として上野の国立博物館に収められているそうです。


上陸碑。
すぐ下は岸壁でとってもきれいな海がひろがっています。


荒々しい岸壁。
この冷たい岩のあいだからシドッティ神父も屋久島の大自然を眺めていたのでしょうか。


シドッティ神父は、実際の布教活動は一切できず、日本の禁教政策も変えることはできませんでしたが、新井白石と出会い、明治維新にもつながる日本の将来に大変な影響を与えました。

きれいな水色。光の当たり方で海の様子はこんなにも変わります。心も晴れ渡ってきました。
どんな目的があろうとも、どんな人生であろうとも、人の考えには及ばない何か大きな役割があって、人はその中で生かされている。旅をはじめて、こうしてお導きがあることに感謝し、何かの意味があると信じて生きてゆこうと思います。