日本海側に出てきたものの、やはり暑さはかわらず、涼しそうに感じる海沿いも車で走るには暑すぎで、のぼせてぼんやり危険ですので、峠の道は大変ですが、山を越えながら北上してゆこうと、内陸に入ってみました。
鳥取砂丘に行ってみたかったのですが、砂がきっと焼けるようで、歩けないというだろうとあきらめました。


移動ばかりしていると、トシオさんのネットの仕事が出きないので、車の止められる場所を探し、良い広場がありましたので、そこで休憩することに。

車での移動の中で、パソコンの仕事がどれだけ出来るか、というのも今回の旅の中での挑戦で、観光をしたい私の願いも聞きつつ、その合間をぬって、車での電気の確保、ネットの通信、その他モロモロ、トシオさんは本当に大変そうです。
感謝です。
パソコンも、今1台を二人で使っていますので、私のブログが出来るときは、だいたいトシオさんが疲れて昼寝をしている時。
ですので、ものすごくたくさん出来る日と、ちょっとの時と、まちまち。
(現在の時間と記事がズレこんでなかなか追いつきませんがすみません。)

仕事も一段落して、お風呂にゆくことに。
実はこの町とっても素敵なところだったのです。
その町は三朝温泉という町で、散策してみることにしました。


まずはお風呂へ、三朝温泉の発見の湯と言われています「株湯」へ


昔、三徳山へお参りに行った大久保左馬之祐という源義朝の家来が、白オオカミと出くわし、弓で討とうとしたが、殺生はならんと思い直し見逃すと、夜、妙見菩薩が枕元にたって、助けた礼と言って「かの根株の下からは湯が湧き出ると」告げ、それ以来こんこんと湧いて8百なん十年にもなるそうです。
放射能温泉と聞いてやはり少し怖かったですが、町のいつも来られている方々は肌がつるつる。
中国地方は、ラドン温泉が多いのですが、入るととっても肌がツルツルになります。


町に明かりが灯り昔懐かしい町並みがぼんやり夢のように浮かびます。


綱引き資料館にあった神社の模型。
日本最古の神社が山の奥にあるそうです。


毎年5月4日の夜に行われるお祭りの「大綱引き」。
藤カズラをより合わせて雄雌2本の大綱を作り、結合させ東西で引きあう伝統行事だそうです。
映像を見ましたが、大迫力でした。


たくさんの作家さんや芸術家のに好まれた場所のようです。
私の大好きな童謡作家の野口雨情が三朝温泉を舞台に「三朝小唄」という流行歌を作詞していたそうで、映画にもなって、その記念モニュメントがありました。

三朝小唄
野口雨情
一、
 泣いて別れりゃ サイショ空までエー
 ヨイトヨイトサノサ 曇る
 曇りゃ三朝がよ ヤレ
 三朝がよ 雨となるヨー
二、
 大瀬ぼうきじゃ サイショ三朝がエー
 ヨイトヨイトサノサ 見えぬ
 
三朝山陰やまかげよ ヤレ
 山陰よ 山の中ヨー
 「ハ出雲の帰りにゃ 又おいで
 寄らずに帰るは 二心
 その時ァ私が 追ってくヨー」
三、
 三朝湯の神 サイショ二人がエー
 ヨイトヨイトサノサ お好き
 一人ゃ寝しゃせぬよ ヤレ
 寝しゃせぬよ 帰しゃせぬヨー
四、
 三朝河原に サイショ河鹿かじかがエー
 ヨイトヨイトサノサ 鳴くよ
 恋し恋しやと ヤレ
 恋しやと 主を呼ぶヨー
五、
 三朝三朝と サイショ皆様エー
 ヨイトヨイトサノサ いやる
 
 恋の懸かけ橋よ ヤレ
 懸橋よ
 あればこそヨー
 「ハ出雲の神様 縁結び
 寄らなきゃ後から 追ってくヨ
 追っつきゃその時ァ 掻かっちゃくヨー」

三朝小唄のモニュメントのあるところに後ろには
公衆浴場があって、河原で露天風呂ですので、、目に入ってきますので、
慌てて写真をとりました。


三朝神社はの手水舎は温泉でした。


ひとめで、あれ〜宮沢賢治みたい〜と思ったら、ここは河本緑石資料館「カンパネルラの館」で、宮沢賢治のファンが集う喫茶店だそうです。


河本緑石が宮沢賢治の遺作「銀河鉄道の夜」の“カムパネルラ”のモデルのひとりといわれているそうです。詩集や宮沢賢治からの手紙なども展示されています。


「キューリー祭」というお祭りをやっていました。
もう夜の8時過ぎでしたが、続々と町の住んでいる人がお家から出てきて、賑わっていました。
町がいきいきしていて、とっても可愛い街です。おしゃれで、古風で、なんとも大好きな感じ。
映画の影響か、若いカップルもたくさん。こんな素敵な温泉街ってあるんですね。びっくりしました。
またゆっくり散策したいです。