国東半島で頭に浮かんでくるのが、四角い石に仁王さんが彫られている写真。
小さなとき、この仁王さんが、まるで何かの魔法にかかってこの石に閉じ込められているような、そんな想像をしていたのを思い出します。
この仁王さんで有名な「旧千燈寺跡」。

奈良時代718年に六郷満山の中で最初に創建され、中核寺院の1つの大寺院寺院であると伝えられています。「西の高野山」と呼ばれていました。


千燈寺の名前は、国東六郷山を開いたと言われる仁聞菩薩が修行をしていると、東北海の龍王がその徳に感じて千の燈を献じたことから名付けられたとされています。
その仁聞菩薩の入寂(悟りの世界に入る、つまりお亡くなりになられたこと)の地とも言われています。 


今残っているのは、石畳の参道と積み上げられた石、そしてこの仁王像。
苔むした石畳みに枯れ葉がつもり、寂しさがこみ上げます。
それでもこの二つの仁王様は今なお寺院を守りつづけています。

大友宗麟の時代、国東の多くの寺々が焼き討ちに遭いました。
朝に訪れた両子寺もそうですね。
旧千燈寺跡も大規模な伽藍は焼失し、文禄年間に再建されたものの往時の繁栄を取り戻すことはなかったそうです。

大友宗麟が、キリスト教信仰に深入りした余り、神社仏閣を徹底的に破壊していたと言われています。しかしこれは日向国侵攻のときの日向国内限定においてであり、本拠である豊後国内で寺社仏閣を破壊したことを示す資料は見当たらないそうです。
積極的に寺社の破壊を行っていたのは次期当主であった子の義統で、大友家の勢力が衰退する中で、寺社勢力が非協力的になった為と家臣に所領として与える土地がなくなった為、寺社領を取り上げて家臣に与えるという政治的理由の方が大きかったとされているそうです。

本当のところは分かりませんが、、、。

どんなことが理由であれ、心のよりどころである神聖な場所を破壊するなんて、ひどいことです。こんな事が世界中で行われてきた世の中、
誰もが世の平安、心の平和を願っているのに、繰り返し、、、人間は本当に愚かな生き物、、、。

悲しみを包み込むように多くの人が祈りを捧げたこの場所は、静かに朽ちていっています。
もしかしたら仁聞菩薩が悟りを開いた頃に帰っているのかもしれません。
人間がどうしたからといって関係なく山は緑を、鳥を、虫たちをそして、そんな歴史も
みんな抱えて一つにしてゆきます。

旧千燈寺跡からさらに奥に旧千燈寺跡をさらに登ってゆくと、講堂跡や五輪塔群、奥の院の左手には仁聞が入寂したといわれる枕の岩屋と呼ばれる窟などがあるそうです。

両子寺で満喫しすぎて、二人とも足の筋肉がぶるぶるしていましたので、上の方までは行けませんでしたが、またゆっくり行きたいです。