大分の実家に帰って張り切っているのが私の父親。最近デジタルカメラを始めたと言うこともありまして、写真家でもありますトシオさんに写真の講座を受けつつ、なんだか子供時代の懐かしい思い出の場所を写真に納めたいと、ふるさと散策をはじめました。
父の生また町、安心院という町。
あじむと読みます。
神社や磨崖仏が山の中にひょっこり出て来て、なんだか不思議な町ですよ〜。


「家族旅行村安心院」という宿泊施設名とありますところに隣接する三女神社。
何度も安心院には訪れていますが、ここに神社があったなんて全く知りませんでした。
うっそうと茂る緑に囲まれた鳥居。ちょっとこわ〜〜い感じです。一人でくぐるのには勇気がいりそうです。階段をずんずん上ってゆきます。

階段の脇の石の塀が緑におおわれ、木の根が手のように石を支えていました。
まるで天空の城ラピュタの飛行石を支えていた木の幹のよう。


三女と書いて「さんみょう」と読むそうです。天照大神の娘三女神、田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)・市来島姫命(いちきしまひめのみこと)がと他10柱が祭られているそうです。全国唯一の三女神社。

拝殿、奥に本殿がありました。「江戸時代に至り、島原藩主累代これを崇敬し、社領十石を奉納し、或いは宮殿を造営し、或いは矢筈提灯ならびに釣灯籠などを奉納した」そうです。

何よりも不思議な雰囲気がしたのは、無造作におかれていた石群。荒らされたような感じ、、、これは「三女神天降りの遺跡と伝えられ、地上に突出すること2m余り。古来、試みに掘りて石根を見んと欲すれば、宇宙闇然(アンゼン)風雨至り、大地震動して、その声雷の如し。後の人、恐れて触る者なし」と言い伝えられているそうです。ちょっと背筋がぞ〜っとします。三柱石を始め多くの陰石を有しているそうで、宇佐神宮の元宮大元山のご神体だそうです。触らぬ神に祟りなし、、、。

神社の近くの山の岸壁にある下市磨崖仏。

平安後期以来の阿弥陀浄土への信仰を表しているそうです。

全国の磨崖仏の約8割が大分にあるそうです。磨崖仏の中には加耒坐像(阿弥陀如来か)と書かれているものもあり、私の実家の姓がは加耒ですので、きっと家の姓は如来から来ているんじゃない〜。ご先祖様が付け足したのでしょうか。などと皆で勝手に盛り上がってしまいました〜。


この日の最後に父がよく遊んでいたという川へ行きました。水面に大きな岸壁と木々の緑が写って何ともきれい。こんな雄大な自然の中で、泳いだり、魚釣りをしたり、楽しかった思い出が一杯あるのでしょう。父はたいそう喜んでいました。ふるさとに感謝。

川沿いにありますお知り合いの椎茸畑で始めて椎茸をむしりました。
いい香り。焼いておいしく頂きました。ありがとうございました。

つづく、、、

大分県の大野郡の山間、天使の舞い降りる丘で、素敵な時間を過ごしました〜。
声をかけて下さった写真家の岩崎寿美さんのギャラリー1周年記念会でした。
その日はあいにくの雨でしたが、地元の方のご協力で、お庭には大きなブルーシートの屋根が出来ていましたので、雨に濡れることもなく、秘密の集いのようでなんだかワクワクしました。

お歌とギターのコンサートがありました。
雨の音の中で聞こえて来る音色がやさしく響いて心癒されました。
お歌の樋口さんは、子守歌のような温かく守られているような声で、私には出せない落ち着いた響きで、とっても素敵でした。ギターと歌、そして日本の歌でしたので、ギタリストの西野雅人さんと日本の歌をご一緒していた頃のことを思い出して、なんだかとっても懐かしい気持ちがしました。でもあの雨の中、本当に大変だったと思います。ありがとうございました。


お歌の樋口さんは、熊本県の山都町というところにあります幣立神社のお近くで「みづひき」というカフェ、レストランをやられているそうです。幣立神社は一説によると世界の中心でキリストも釈迦もマホメットも訪れた、のだそうです。
エネルギーに満ちあふれた地、、、。
また樋口さんは仏画を描かれていて、会場のギャラリーに優しい眼差しの観音様や、お地蔵様の絵が飾られていました。本当に素敵。心が温かくなりました。もう絶対「みづひき」に行ってみたいです

私たち、チェレステ楽団も、食事の合間に演奏させていただきました。

とても温かなやさしい時間の中で演奏。皆さんと会話をしながらの素敵なひとときでした。ありがとうございました。


笑顔の素敵な岩崎さんのお写真。天使ミカエルのお姿をした雲が空を羽ばたいています。
優しさのあふれる「天使の舞い降りる丘」。
また会いに行きたいです。


母方の祖父母の13回忌と7回忌の法事が無事終わりました。
生前、祖母が私の実家で同居していたこともあり、法事は家でだったのですが、
ご長男のお家へ行かれる事になりましたので、今年で最後と言うことで、無事送り出すことができて良かったです。
厳格で、大変に几帳面だった祖父。
北九州の祖父母のお家に遊びに行くと、必ず駅で小さな帽子を振りながら、まるで兵隊さんのようにびしっとして、ようこさん、ようこそおいで下さいましたと出迎えてくれました。西鉄に勤めていたこともありまして、どこへ行くにも、電車の時刻、歩く速度、バスの時刻、計算をし、いつも持ち歩く鞄に最低限の必要な荷物を確保し、きちっきちっとしていました。物を異常なぐらい大事にし、新聞には、ひと記事事に感想を書き込んで、捨てることがなかったので、一つのお部屋が新聞で独占し、亡くなって、撤去したときには、床が沈んでいたのにはびっくりしました。(祖母がこっそり時々処分していましたが)
戦争でビルマの方に行かれたとき船で爆撃に遭い、たくさんの戦友を亡くしました。爆撃にあったときに紛れ込んで祖父の鞄の中に入っていた小さな仏像を前に、手を合わせ、ずっとずっと何時間も毎日毎日お祈りをしていました。小さな頃は何をしているのか分からなくて、その姿がとっても面白くって、兄弟でクスクス笑っていましたが、祖父の心の痛みは相当な物だったのでしょう。今祖父とお話をすることが出来たら本当にいろんな事を学ぶことが出来たのになあ。と心残りでなりません。
派手なことや、目立つことをよしとしない祖父は、私が音楽をやっていることをあまり歓迎していなかったのですが、1度だけ見に来てくれたことがあったと思います。祖父が亡くなったとき、ちょうど星の王子様の舞台の公演中で、お葬式に行けませんでした。薔薇の花役だった私は、王子様が星を去って行き、独り王子を思って歌いはじめました。祖父とシンクロして、感情があふれすぎて声が出なくなりそうになりました。すると客席の上の方に不思議な光が輝いて、なんだか温かい気持ちになりました。じいちゃんだ!!と思いました。きっと見に来てくれたんだと思います。後ほど母親に、祖父は本当は音楽が大好きで、クラッシックのコンサートにこっそり連れて行ってもらったと言っていました。きっと天国で戦友達にも再会して、心置きなく大好きだった芸術を謳歌しているのだと思います。
そんな祖父を支えていた祖母の話は、、、またいつかに。

私の実家での法事に間に合うように東京からゆっくり南下してゆきましたが、とうとう時間がなくなってしまい、久米南町からはどこへも寄り道をせず大分へ向かうことにしました。下道で行くことを決めていましたので(ETCの準備が整わず、やむなく)国道2号線をひたすら進みます。ゴールデンウィークだったこともあり、都会に出る度道は混み合い、なかなか進みません。各地で催し物が開かれているのを横目で見ながら車を走らせます。その中でも山口県の赤間神社では、源平船合戦の催しで衣装をまとった方々の姿が見られ、大変に賑わっていました。ゆっくり旅が出来たら〜とため息をつきながら車を進めてゆきます。そうまたゆっくり来ればよいのです。

関門トンネルを通る予定でしたが、途中でフェリー乗り場を見つけました。
橋も、トンネルも通ったことがありましたので、折角なのでフェリーに乗ることにしました。
フェリー予約の受付のおじさんが、車のナンバーを見て(茨城方面でしたので)地震の方は地変だったかね〜。と心配そうに声をかけてくれました。そしてちょっと待って!と関門海峡フェリーの「ふく彦のペーパークラフト」をうれしそうに持ってきてくれました。(ネットでダウンロードして印刷できますよ〜)とっても可愛いくって、なんだかうれしくなりました。


空は黄砂の影響で真っ白。ほんの13分の乗船でしたが。なんだか悲しいような寂しいような気持ちになります。船って不思議な乗り物ですね。

久米南町にやってきました。
高槻市を出て、2号線から373号線に曲がって、久米南町まで長かった〜。
すっかり日も暮れてしまっての夜の山道は怖いですね。
街灯がないのでどこに続いているのか、通れる道なのか、不安でいっぱい。
そんな夜の道で子鹿ちゃんに出会いました。
お互いびっくりして、右往左往してしまいました。
驚かせてしまってごめんなさい。
それから何か飛び出してくるのではないかとすっかり怖くなってしまって、のろのろと車を走らせ、道の駅に着いたらもうぐったりしてしまいました。
でも無事について良かった〜。

久米南町には全く面識はないのですが、たまたまネットで久米南町のゆるキャラ?ハープ弾きのカッパちゃんを見つけて、なんなのだろうか気になって、頭から離れず、来ちゃいました。


道の駅に小さな銅像があって写真を撮ろうと思ったのですが、かわいそうに、手がちぎれていて、なんだか悲しい気持ちになってしまって、、、。写真を撮るのを忘れてしまいました。これを目指してきたのに、、、。でも道の駅のショップのたれ看板に少し写っていました。しかしなぜカッパがハープを持っているのでしょう、、、。いまだ謎のままです。


久米南町は法然上人の誕生の地だそうです。全く知りませんでした。ハープ弾きのカッパちゃんにのおかげです。


4月の第3日曜日には、法然上人のご両親を娑婆世界から西方浄土にお迎えするという「会式法要二十五菩薩練供養」が行われたそうです。室町時代より始まり、現在、岡山県の無形文化財に指定され、日本三大練供養の一つと云われているそうです。今年は法然上人800年大遠忌の年にあたり、たくさんの方が見えられたのでしょうか。行きたかったです〜。間に合いませんでした〜。来年は行ってみたいなあ。


法然上人のお手植えと伝えられる樹齢850年の大いちょう


御影堂内部。外から眺めていましたら、中にお入りなさいとお声をかけて頂いて、ゆっくりお参りすることが出来ました。お写真を撮らせていただいたら、不思議な光の線が写っていました。


法然上人に夜襲の際、右眼を射られた明石定明が、川で目を洗うと、以後片目の魚が出現するようになったと言われる片目川。

誕生椋。法然上人御誕生の際、2つの白幡が飛んできて椋の枝に掛かり、その椋が枯れた時、法然上人のお姿が昇天したと言われているそうです。

産湯の井戸。弘法大師が、
「やがて世は末法乱世に入り、その時、此処に唯一の万民救済の聖者が誕生されるであろう」
と予言され、錫丈で地を指された所に清水が湧き出し、後に法然上人誕生の産湯の井戸となったそうです。

法然上人の両親が祀られる奥の院六角堂


奥の院の脇の田んぼへ抜ける道が椿の花で赤く染まっていました。
あんまり美しかったのでしばらく見とれてしまいました。ずっと寒かったのに、この日は急に気温が上がったので、ぽとんぽとんと落ちていったのでしょうか。
何のためらいも疑いもなく地に落ちて、横たわる椿の花びら。
また来年も花開く事を信じて。